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アイドルと恋愛のコンプライアンス

20日に宮城に行ってきた。
BLASTの名の通りのお祭り感、宮城でやる意味、そして嵐が見せたい嵐の「これから」を、快晴の午後から日暮れ、夜へと、移り変わる空の下、最適なシーンで見せてくれた、すばらしいコンサートだった。思い出してはせつなくなっている。

コンサートの感想は、ぜんぶの日程が終わったらまたゆっくり書きたいのだけど、開幕前日にヲタたちを悲しませたあの事件について、触れておきたいと思う。自分の心の整理のために。
20日に歌われた「言葉よりも大切なもの」。出だしのさとしのソロは「あれっ、キー下げた?」って思うぐらい、音が低かった。ひやっとした。Aメロに入ったら不自然でなくなったけれど。でも、その後も、めずらしく音がフラットすることが多くて、中盤の「Monster」でようやくいつもの調子が戻ったように聞こえた。こんなさとしを見るのは、私ははじめてで、胸がちりちり痛んだ。
2階スタンドから見る限り、客席の光景はいつもどおりで、ヲタたちは自分の好きな人の名前を書いたうちわを振り、あたたかく応援しているように見えたのだけれど。

恋愛してもいいから隠せ、というのが、昨今のアイドルファンのスタンスとしては多数派意見になっているっぽい。
私もそれに異論はない……のだけど、ちょっと、世間のコンプライアンス意識の求め方がきっつくない? って、思っていて。

えっと、えぐいなあって思っているところはあるのよ、多々。あなたの選択にうるさいこと言いたくないけど相手は選ばないとあれだわよって脳内で小姑プレイが止まらないし。

でも、人間は失敗することあるじゃん。
ケアレスミスが大ごとになってしまい、そのリカバリもうまくいかなくって踏んだりけったり、ってこと。社会人生活が長くなると、自分で責任をとらなきゃいけなくもなるし、誰かなんとかしてくれないかな、ではすまなくって。

アイドルはファンの夢のために恋愛をしない、ことにしなくてはいけない。
アイドルからすれば名前も知らない、個人として認識しているわけでもない、匿名の存在のようなものであるファンの財布から出ていった、夢への対価が、ある特定の女性のもとに流れていくなんてことがわかったら白けてしまうから。

今回のことは、業務上のミスだ。コンプライアンス違反なのだ。
違反だ!と非難する心境はわかる。そして、私は嵐みんな好きだけれど、さとし担じゃないから引いて見てるところはあって、他人が口出すなよっていう案件かもしれない。
でも、そのコンプライアンスを遵守できる人が一種の超人なのだ。できないこともある、と考えたほうが楽なんじゃないかなって思っていて。

これ描きたい、と思って描いたモチーフが商品化されたものだから、余波が大きくなってしまった。
そのあとのコメントも、トラブって詫び状を書いたらヘタクソなもんだから余計相手を怒らせるっていうサラリーマンあるあるみたいになっててさ。
スポーツ紙のコメントを読んだ当初は、いかんよこれ、特に最後の一言、信用おとしかねないよ、って思ったんだけど、ふと「ヘタクソな詫び状」だと思ったら、かわいそうになってきてしまったんだよね。うまくできなかった自分の仕事のことなんかも思い出す。それで、「一緒にお仕事がんばろうね」っていう気持ちになって。

そんなねじくれた励まされ方をしているファンもいるよ。