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おたおめによせて 〜アイドルを消費財にしたくない

さとしさん、お誕生日おめでとうございます。

何年見ていても、つかみどころのない人だなあと思います。わかったような気になってると、いつのまにかすり抜けられているような。だからずっとワクワクして見ていられるんです。

自由でありたいと殊更に意識してるわけじゃないんだけど、そうなってしまう人なのかもしれないな、とも思っています。なにかと制約の多いお仕事でしょうが、楽しみながら過ごしてほしいと祈るばかりです。

 

おたおめエントリに違う話題を混ぜるのはお祝い心が足りないわけではないんだよ、とおことわりしつつ、つい、さとしとつなげて考えてしまうことがありました。

 

田口くんが春でグループからも事務所からも去ってしまうと聞いてから胸がずっとつかえています。かつん担のひとたちの悲しみはいかばかりか、想像するとつらい気持ちになります。だけど、その嘆きの言葉の中の一部に、ひっかかってしまうものがあって。

いなくならないでと願うことと、いなくなることを責めることは、似ているようで違う気がします。悲しみゆえに、そして残された人を思うがゆえに出てきてしまう言葉なのはわかるんですが......

昨今のアイドルファンの消費者意識みたいなものに反発を感じていました。アイドルのプライベート、特に恋愛事情が晒されてしまったとき「プロ意識が足りない」とか「市井の人間のような幸せは犠牲にしてでもアイドルの道を全うすべきだ」という言説、いつから当然のことのように言う人が出てきたんでしょうか。

私たちに許されるのは彼らの人生の一部を客席から垣間見ることのみであって、彼らの人生をコントロールする権利なんてないのです。

舞台上のことならともかく、個人としての生活の部分にまで「客はお金や時間を費やしているのだ」という言い分で立ち入るのは、きつい言い方しますが、札束で相手の頬をはたいているようなものじゃないですか。もっと言えば、人間を消費してるんです。

綺麗事と言われても、私はアイドルを消費財扱いしたくない。そんなんじゃなくて、築ける関係はあるはずだと夢見ています。

好きという感情は時として手に負えなくて、人を血迷わせてしまう。それを受け止めてくれるアイドルという存在は尊いものです。

 

どうやって結ぶか考えあぐねている間に、バースデーを過ぎてしまいました。ごめんねさとちゃん...